人類が全てを知る前に宇宙は終わってしまうのか? 円城塔「Self-Reference ENGINE」

今回は一風変わったSF小説を紹介します。
円城塔の「Self-Reference ENGINE」です。

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)


短篇集のふりをした長編SFなんですが、最初は
これをSFと呼んでいいのか、
これをSFと呼ばずして何をSFと呼ぶのかという思いが同時に起こる印象でした。



各話ごとに登場人物も時代も場所も作風も全く違う短編が続きます。
よく言えば変幻自在、ある意味人を喰った展開です。
SFらしい固い話もあれば、叙情的な話もあり、ふざけているとしか思えないコメディまであります。
当初は全然飽きない代わりに各話のつながりもよくわかりません。
しかし、ある話を境に急速に各話の裏に通じる壮大なビッグピクチャーが見えてきます!
時空を超えて全く関係のなさそうな話がつながる感覚は他の小説ではなかなか味わえないものです。



そして後半にさしかかるとようやく大きなテーマが見えてきます。
「人類の知性はどこまで到達できるのか。」


「大増量義脳ユグドラシルは言うのだが、脳の増設端子に限りのある人類としては
その言を信ずる信じない以上に判断する手がかりがない」


人間より高度な情報処理能力を持った存在として巨大知性体や超越知性体といったものが出てきます。
彼らは宇宙一つをそのままシミュレーション演算できるくらいの存在なんですが、
その知性があまりにすごすぎる故に人間との意思疎通がうまくいきません。
人間たちは「全ての知識」を目の前にして理解できないのです。



この話を読んだとき、私の中で「人が一生で得られる知識、できることはどのくらいなんだろう」
と個人に還元して考えてみました。
人間の脳の計算速度なんて大したことはありません。
寿命という限られた時間の中で詰め込める知識は非常に限られている。
さらに、それを生かして仕事をするとなるとさらに時間は限られる。



私も研究者として学問をしておりますが、
今までの研究で得られた知識だけでも膨大なもので、
全ての知識を会得することができないのは明らかです。
その上でさらに新しい発見は生まれる。
そう考えると一人の人間が全ての知識を得るのは不可能という結論が出ます。
研究者個人としては「偶然に」得た知識の組み合わせが「偶然に」新しい発見を生むのを期待して、
勉強し、実験するしかないのかもしれませんね。


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