対談ブログ"しゃべろぐ"第2回! シュタインズ・ゲートについて語ろうぜ!(前編)
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2011/06/23
- メディア: Video Game
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対談形式のブログって毎回言うのも長いんで、題して「しゃべろぐ」なんて名前でもつけようかな、と。
第2回である今回は「シュタインズ・ゲート」をお題に語り尽くしていこうと思います!
ゲストはmuneyukiさん(twitterID: @munnesu)をお招きしました。
それではしゃべろぐ第2回「シュタインズ・ゲート」、題して「円卓会議」始まり始まりー♪
(※シュタインズ・ゲートアニメ14話相当までのネタバレありです)
ブログ主:酢めし | |
対談相手:muneyuki |
今日は"機関"の陰謀を明らかにするために緊急円卓会議をすることとなった!
私は二つ名「終夜実験のリアクター」を持つマッドサイエンティストの酢めしである!!
今後お見知りおき願おう!
二つ名、「黄昏を吼える者」、muneyukiです!! 何が何やらw
まーこのテンションも辛いんで次から普通でw
大阪に住んでおります化学系の大学院生です。
京都の私立文系四年目になります、石田です。
アニメは・・・まぁそこそこ見てる方かと。一応現代美術評論に足を引っ掛けて、文学分野を幅広く。
1.時間移動もの、ループものというSF設定について
よろしくお願いします。えー、今回のお題はシュタインズ・ゲートということですが、
私はPSP版よりプレイして、現在のアニメ放送より少し先まで見ております。
ゲームとしてはChapter10までですね。
僕はアニメのみ、ニコ動で視聴している状態で、萌郁さんとか何なの?状態です。
話数としては14話です。
iPhone版が出たら是非とも購入してプレイしたいものです。
メディアが違うってことで見てる内容も解釈も多少ズレてくるとは思いますが、
そのズレも確認しながら進行していきましょう。
まず、アニメなので勿論分岐が無い訳ですが、ゲーム版はものすごく分岐するんですか?
それこそ世界線が千本位あるような!
このシュタインズ・ゲートってのは今流行り(?)のループもの、時間移動ものの作品ですが、
かなりそれ系の作品としてはきちんとした印象をうけます。
正統派としてSFをやってる感じですね。
そうですね。ドラえもんはベルヌやらを継承しつつも、結構アナがあったり。
色んなSF作品を踏まえる事で、後から出る作品はどんどん洗練されていく。
僕の知識の限りにおさらいをしておくとH. G. ウェルズの「タイムマシン」みたいな時間移動の古典があり、
あとはノベルゲーの流れとして「YU-NO」や「Ever17」「クロスチャンネル」等の繰り返しものがあって。
近年のアニメ作品でいうと「時をかける少女」「ひぐらしのなく頃に」みたいな作品が人気を博していて…
そういった土台の上で「まどかマギカ」や仁のような
SFとはちょっとかけ離れた分野にも物語的手法として時間移動が使われているという感じですかね。
(あ、時かけの原作はSFの大家、筒井さんですね)
どちらかと言えば、まどマギも仁も、「時間移動」はツールとしてしか登場してない印象です。
時かけもですかね。
シュタゲが「SFっぽい!」と思わせるのは、時間移動そのものがテーマになってるからかなぁ、と。
そうですね。
ノベルゲーの並行世界的な観点から言うと
まず選択肢を選んでいくことでいろんなヒロインと恋愛できるギャルゲという分野がありますね。
そういうマルチエンディング系の作品をやっていく中で
「このルート入ったらこの娘が幸せになるけど、この娘は不幸のまま、両立はできない!」
っていう問題が出てきたんですよね。
いろんなエンドがあるけど、どれが本物なん?っていう問題ですね。
それでクロスチャンネルという作品では主人公が同じ時間を何度もループするという設定を使って
全てのヒロインを救う「トゥルーエンド」という考え方が登場した。
クロスチャンネルは友達から借りてやったんですけど、衝撃的な作品でした。
それで「マルチエンディング」「トゥルーエンド」という
考え方が充分ノベルゲーム分野で成熟したあとに出てきた作品がひぐらしだった。
ひぐらしはマルチエンディングの話を完全な一本道ルートでやってしまったという。
取り戻したい過去があって、取り戻せたっていう正解があって、
だからこそ自分に重ね合わせ易くて、「時間旅行モノ」とか「平行世界モノ」って人気があるんでしょうね。
ひぐらしなんかは特にその「正解を求める過程を考える」行程がリアルっぽかった。
うん、一つの物語の中で「運命」を強烈に実感させることができる。
シュタインズ・ゲートに話を戻しますと、
Dメール*1とタイムリープマシン*2を使って主人公オカリンが全部の選択肢を試していますね。
特にゲームではフォーントリガーシステムを使ってDメールを送る、送らないを選べます。
そこらへんで強烈にプレイヤーとオカリンのシンクロが生まれるんですね!
選択肢の選び方としては、これまでに無かった斬新なやり方!
送る文面までプレイヤーが操作するんですか?
まあゲームシステムとして選択肢を選ぶってのはそこに関わってくるんですが、
タイムリープマシンがあるので物語内のオカリンも実質的にプレイヤーなわけです。
「この選択肢選んでダメだったから戻って次いくかー」的なことがオカリンもできてしまうわけですね。
「物語内で選択肢を選んで」「物語外からも選択肢を選んで」二重構造的になってます。
ゲームする上で、如何に主人公と自分を重ね合わせられるか?ってのは重要な要素だと思います。
「選べる」が増えるということは感情移入しやすそうで、とてもゲームとして面白そう。
うん、オカリンとプレイヤーがほとんど同じ立場なので共感しやすいです。
ちょっと中二病的な話に繋がって来るんですが、念能力とかスタンド能力とかって妄想しませんか?
僕「セーブ出来る能力」って最強じゃないか、と思うんです。
ノベルゲーの主人公、何度もシチュエーションをやり直せるんですよ!
バイツァ・ダスト*3ですね!
まあこのオカリンは最初はただの厨二病だったわけですがw
段々と本物の能力「リーディング・シュタイナー」が発動してしまうという!
ウソから出たマコト的なw
本当にリーディング・シュタイナーは能力として、力として、認めてもいいのか?というのがちょっと気にかかりますが。
でも、ループもの全てに言えますけど、「やり直して正解を探すから、苦しみが増す」ということもあると思います。
そうですね。実際オカリンは「やり直しても動かせないもの」を実感してしまいますよね。
それが運命だと。
リーディング・シュタイナーで思い出すことがあります。
ジョジョ3部の花京院典明がデス13と戦ったときあるじゃないですか。
夢の中で倒したけど花京院以外の仲間が誰も覚えてないという話。
うんこwwいや、でもまさにあれが厨二病ですね!
本人は「本気で敵と戦っている」のに周りの誰もが理解できない。
だからシュタゲの「時間移動する孤独な観測者」と「厨二病」という設定はめちゃくちゃ相性がいいです。
周りとしては何も覚えてないですからね。
当人が苦しんでても誰も理解できない。
そうですね。「見えない何かと戦う」というのは邪気眼を持つものの運命(さだめ)でもある・・・
だからこそ、闘ってる本人は非常に苦しいし、それを見ている人、視聴者なり読者なりは切ない。
うん、視聴者はそれがわかるんで共感できる。
またこういうループものでは「一回性」ってのがキーワードにあげられます。(一回性についてはこちらを参照)
結局別の選択肢選んだなら前の世界は意味ないじゃないか、ってやつですね。
やり直せないたった1回きりだからこそ大事な経験になる、的な。
そこらへんの扱いもシュタゲはうまいなと。
「ぼくらの」を思い出します。平行世界同士を戦わせて、可能性同士を潰し合わせる、という。
結局生き残る可能性だけが、真実として刻まれていく。
「一番正解っぽい」では無いんですよね。
ありましたね!見ました!
その場合は生き残る方が「トゥルーエンド」なんですね!
完全に明暗が分かれてしまう。
受容者的には「一番正解っぽい」所に辿り着いて欲しいんですけども。
シュタゲにおけるトゥルーエンドの扱いは
まずはオカリンが別の世界のことを全部覚えていて、全く軽視できないという前提があって。
オカリン「だけ」が覚えているからこそ、ですかね。
やはり観測者オカリンがみたものがトゥルーエンドであると。そういう解釈だと思います。
リーディング・シュタイナーの覚醒者っぽい価値観ですね。
「全てを踏まえたエンド」がトゥルーになるのかぁ。アニメではどうなるんでしょ。
ただ、シュタゲは想定科学ADVなのでやっぱり物語論ベースではなく、科学ベースなんですよね。
物語論で言うと「全員が幸せなのがトゥルーエンド」でいいんですが。
科学の考え方であるエヴェレットの多世界解釈(Wikipedia参照)で言うとトゥルーエンドも他のエンドも平等です。
だから結局オカリンは観測しているだけ、そういうシビアさも残ると思います。
ところでアトラクタフィールド理論ってわかりました?
ここで解説されてますが。
時間が一本の線の様になってて、大きな変化以外は何か超常的な力で修正される、という解釈でおk?
いわゆる「タイムトラベルもの」にしか適用しにくいんじゃないか、シュタゲのような「平行世界モノ」、
もしくは時間操作能力者の登場する「タイムリープもの」とは両立し難いんじゃないかな、と思ってましたが。
まあ簡単に言うと今オカリンのいるβ世界線から抜けだせなければ
多少選択肢を変えても「まゆしぃが死ぬ」(←ネタバレ反転)という事件は起こってしまうって話です。
確かにあの突き落とし(←ネタバレ反転)はねぇよwwwwwwwwってなったけど、そうか、ドラえもん理論だったのか・・・
何本かの筋道がまとまったものがβ世界線ですね。
ただ、「まゆしぃが死ぬ」という事件が起こらないα世界線があったとしたら、
それをオカリンが観測するかしないかに関わらず、ただあるんじゃないと思うんですね。
あ、休憩挟んでいいですか。
ちょっとドクペとってくる。
(……しばしのドクターペッパー休憩……)
しかし「日本が日本で無くなる」みたいな大きな結果ならともかく、
「人一人の生き死に」程度がβ世界線になってるのはどういうことでしょうか?
作者の意図、としか・・・
ターミネーターの、あの革命軍のリーダーになる、とかいうやつ位なら、
「歴史のキーワード」っぽくて納得出来るんですが。
ま、そこらへんはオカリンが将来重要人物になるのでその心の支えがうんたらみたいな解釈で。
まぁそうでもないと、オカリンが必死で頑張る物語になりませんしねw 想定科学!
まあそんな感じでシュタインズ・ゲートでは多世界解釈が基本で、そのズレを唯一観測できるのがオカリン、
ただオカリンが観測するかしないかに解釈関わらず「まゆしぃが死なない」世界はある、という感じですね。
こう書くとオカリン別にまゆしぃ助ける世界線に行かなくても、みたいな気分になってきますがw
そこで厨二病がもう一回登場ですよ! オカリンを軸として物語があるなら、
その厨二病発症の根源であるまゆしぃは欠かせないィー!
まあコペンハーゲン解釈で言うとオカリンが観測したからこそその世界が顕現するって考えもあるんですがねw
でもあの世界はエヴェレットの多世界解釈から発展したアトラクタフィールド理論だから。
観測したしないに関わらずいろんな世界が共存してます。
とはいえ「物語」、ゲームなりアニメなり小説なり漫画なり、物語の形式に納めた時に、物語の目的とゴールが存在し始めるのでは。
目的とゴールが存在する限り、観測したもののみが物語になるんでわ。
そうですね。そこらへんはオカリンの主人公としての人の良さ、
アツさがあるからこそ良い世界を観測した重みが感じられますね。
あれで助手が主人公だったら「世界は変わらん」で終了しちゃうw
良くも悪くも、「天才」と「凡人」で、凡人が良い方向に向いた、と。主人公が凡人で良かった。
狂気のマッドサイエンティスト、フゥーハハハ!なんて凡人を凡人と呼んでいいのか分かりませんが。
はははww
段々とシリアスになると厨二病節が減ってきてさみしいですw
今回は長くなったのでここまでを前半としてまとめております。
後半は以下から!
第2回対談ブログ"しゃべろぐ" 「シュタインズ・ゲートについて語ろうぜ!」(後編)
http://d.hatena.ne.jp/sumeshi30/20110718/1310940281