わけのわからない文章に陶酔していると次第に笑いどころが見えてくる回りくどい恋愛、コメディ 円城塔「Boy's Surface」

Boy’s Surface (ハヤカワ文庫JA)

Boy’s Surface (ハヤカワ文庫JA)

わけがわからない。
円城塔の「Boy's Surface」をごく公正にみるとそんな評価が妥当だろう。



この短篇集の中では私達に理解できる物質界で起こったことなどほとんど描写されておらず、
想像だにしえないことばかりが描写される。
しかしやはりそれは物語の変換の一種であり、すなわち物語である。
関数f(x)が関数g(x)に変換されてもやはり関数であるように。
このように、読むのにハードルが高い本書だが、文章のわけのわからなさは奇妙な陶酔感があり、これがなかなかの快感である。
せめてその一端でも味わえるように、そしてこれから読む人の理解の一助となるようにこのレビューを書こう。
本書を読むのに大切なことは、素直に書かれたままを受け取ることと、書かれたものをまともに受け取らないこと。



最初の短編「Boy's Surface」はテキスト論を恋愛に拡張した話だ。
ルフレッド・レフラーとフランシーヌ・フランスは恋をする。
ただし、レフラーが見るものはレフラー自身により変換されたフランシーヌの像であり、
フランシーヌが見るものもまたフランシーヌによって変換されたレフラーの像である。
テキストは読まれ方をある程度規定することができるが、それでも無数の解釈のパターンがある。
レフラーは無数のフランシーヌ像を形成するが、けして元のフランシーヌにはたどり着けない。
初恋の不可能性。
そんな物語の語り手は、変換する媒体である数学的構造、レフラー球にしかできないであろう。



2番目の短編「Goldberg Invariant」は自動テクスト生成プログラムを短編全体に侵略してみせたメタ構造の作品である。
すなわち、この短編に書かれている文章全てに意味がないと思っても差し支えない。
そしてこれらのプログラムをばらまくことにより世界を混乱に陥れて笑っている霧島梧桐とは、
意味のない文章を散りばめることにより読者を困らせて笑っている著者自身である。
なんとも意地が悪い。



3番めの短編「Your Heads Only」は読者をチューリングマシンにしてしまうチューリングマシンとしての恋愛小説である。
チューリングマシンの詳しい説明はWikipedia:チューリングマシンに任せるとして、
読者はこの小説を読むことによりこの小説に解釈や印象を付け加えていく。
もしくは、この小説は読者の内部を通ることにより読者を書き換えていく。
この短編は読者の中にテキスト上には書かれていない恋愛小説を浮かび上がらせることを目的とする。
もしくは、昔の恋愛の経験でも。
あなたのHeadだけの恋愛小説を生成する。
恋愛の脈絡のなさを、理解しがたい奇妙な動物の生態で例えたくだりが秀逸。



未来からと過去から、歴史転換の特異点で出会うボーイミーツガール。4番目の短編「Gernsback Intersection
ここまで読み進んできた読者にはこの程度の混乱など慣れたものだろう。
これまでの短編もかなりコミカルと言えるが、特にこれはコメディ色が強いので気軽に読んでいただきたい。
回避するべき運命を定められた特異点を戦艦と計算を駆って避ける少女はとてつもなく凛々しい。



このように著者の回りくどい創意工夫によって多重にメタ化されているが、
いずれも本質としては割りとシンプルな恋愛やコメディを描いている。
これが多くの人に面白いと思ってもらえるとは到底思えないが、
少なくとも本書とがっぷり組み合ってここまでのレビューを書けるまでには理解できた私は満足感でニヤニヤしている、そんな本書である。



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