アメリカ銃社会の法と正義を身をもって体感できるゲーム 「レッド・デッド・リデンプション」


ゲームというのは「自分でプレイする」という一点において
他の映画や小説のようなメディアとは一線を画す特殊なメディアです。
同じ「やむにやまれず人を殺す」シーンにしても、
映画の中の登場人物が人を殺すのと、プレイヤーが自分の意図で人を殺すのとでは
ストーリーの受け取り方も全く変わってくるでしょう。
ノベルゲームでは選択肢を選ばせることで、それぞれのエンディングの責任をプレイヤーに負わせるという手法をとっています。
ここらへんはひぐらしEver17YU-NO等のゲームの文脈で散々語られてきた部分です。
最近だとシュタインズ・ゲートですかね。


しかし、多くのアクションゲームではストーリーは一本道で、
「プレイヤーがミスをして主人公が死んでしまった世界の可能性」は容赦なく捨てられています。
「ここで死ぬ定めではない」んですね。
そんなふうにプレイヤーに責任を負わせることが難しいアクションゲームですが、
今回紹介するレッド・デッド・リデンプション(以下RDR)はそこを非常にうまくやっているのです。


RDRの舞台は西部開拓時代のテキサス。
さすらいのガンマン、ジョン・マーストンが昔の仲間の悪行を止めるため、荒野を駆けまわります。
一応主軸ストーリーはあるのですが、このゲームはむしろこの西部劇世界をまるごと楽しむようになっています。
まず初めに驚いたのが馬に乗って走っているだけでこんなに楽しいゲームがあったのか!ということです。
映像が非常にきれいなだけではなく、サウンドもリアルで時々刻々と空の様子も変わってくるため、
全く箱庭という印象を受けず本当にテキサスにいるような気分になってきます。


そしてそうやって荒野を気持よく走っているとひんぱんにゴロツキに出会います。
あるときは商人や女を襲ったり、あるときは助けを求めるフリをして主人公の馬を強奪しようとしてきます。
もちろんゴロツキと撃ち合いになれば死ぬ危険も出てくるのですが(そしてわりと死にやすいw)
ここでプレイヤーは判断を求められるのです。「殺すべきか?」


うまくやれれば助けた人に感謝され、名声というパラメータが上がっていきます。
撃ち殺した後に忘れちゃいけないのが死体あさり。ゴロツキが持ってた金や弾薬を回収、回収。
ええ、正義の行動なので後ろめたさはありません!


逆に自分がゴロツキになることもできます。
荒野だろうが街中だろうが酒場の中だろうが自由に銃が抜けるので、強盗、殺人も思いのまま。
もちろんそんなことをして人に見られたら保安官が黙っちゃいませんが。
この保安官ってやつが風来のシレンの店主並に強くて油断してるとすぐ死にますね。
さらに、保安官から逃げ切ったとしても名声が下がり、お尋ね者として賞金首になってしまいます。
でも心配はいりません。お金を払えば無罪になります(何


そうやって無秩序が多くを支配している世界を、
人を殺したり自分も死んだりして身をもって体験していると、
なんとなくアメリカ人の「法と正義」について皮膚感覚でわかってくるんですね。
この時代に法などありません。ではどういう風に秩序が保たれているか。
それは「悪人を殺すこと」です。それが唯一の法なのです。
アメリカ人にとって法とはあらかじめ決められたものではなくて、
秩序を形成し、自分が名声を得るためのツールなのです。


ゴロツキが強盗殺人をすることと、ゴロツキを撃ち殺すことに本質的な違いはありません。
では何が正義なのか?それは多くのものの支持を得られるどうかで決まってきます。
つまりここでは「悪人を殺すこと」と「殺した者が悪人であると証明すること」はほぼ同じ意味なんですね。


こう考えるとアメリカ政府がテロへの報復を掲げてビン・ラディン氏を悪人に仕立てあげた話も実に理解できます。
彼らはそういうやり方でしか秩序を守る方法を知らないんです。


荒野を走りまわったり、ゴロツキと撃ちあったり、動物をハンティングしたりして西部劇を楽しむだけでなく、
アメリカ人の法感覚までわかってしまうゲーム、RDR。
ぜひとも一度プレイをオススメします!


深町秋生さんによるグランド・セフト・オートのレビューも面白いので読んでみるといいかも。
同じロックスター・ゲームスから出てるから哲学が一緒なのかね。



GTA4は道徳的 -深町秋生のベテラン日記-

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20100108