対談ブログ"しゃべろぐ"第3回「あの花語り その2」(前編)

もう第3回となって段々自分としても要領がつかめてきた対談ブログ"しゃべろぐ"ですが、
今回のネタは第1回でも扱った「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」通称あの花!
最終話も終わってしばらく経つので、すみずみまで語り尽くしていきたいと思います。
ゲストさんは第1回に引き続きすぱんくさん(twitterID: SpANK888)です。
第1回を見てない方がいたら、それ読んでからの方が楽しめると思います。


第1回対談ブログ 「あの花」についておもいっきり語ろうぜ!
http://d.hatena.ne.jp/sumeshi30/20110703/1309674690


あとは最終話の私の感想も読んどくとわかりやすいかもしれません。別に読まなくても何の問題もなく読めますが。
それではスタートォ!!


ブログ主:酢めし

対談相手:すぱんく





第3回 しゃべろぐ「あの花について語ろうぜ! その2!」始まり始まりー♪





\ラッシャイ/





一応この企画の趣旨を説明しますと対談形式でアニメ等を語っていくことで
より深く読み込んでいこうということで、今回のネタはあの花、ゲストさんに
前回もお話ししたすぱんくさんを招いております。




小便は済ませたか? 神様にお祈りは?
ガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK?




ワー!ワー!





えー、改めて自己紹介しますとガッツリつるこ萌えの酢めしです!
今回はつるこについてしゃべくりまくりたいと思います!
よろしく!



よろしくお願いします!
結局誰にも萌えられなかったすぱんくです!
じゃあ今回はつるこをディスりまくるということでがんばります!



おー!かかってこいやー!
まずは全体の感想みたいなものからいきましょうか。



まず不満から言っていくと、やっぱ11話はみじけーわ。
ぽっぽは唐突だし、「その後」を匂わせる部分をもっと残酷に入れて欲しかったなー・・と。



いきなり不満からwしかもけっこうディープな部分に入っていきますね!
いやー、僕としてはすごく良かったと思います!
まず泣けた!俺が泣くなんてリリー・フランキーの東京タワー以来ですよ!



いや!良かったですよ!
最終話2周目なんて、メモ取りながら見てたのに途中から泣いて何も書いてないww



いいねー!




毎話毎話、けっこうな泣かせドコロはあったのですが、1話ごとの泣かせポイントが、中々全力で振り切れない感じで
そのフラストレーションを上手く最後まで持続させてそれを全部解消するような、良いラストだったと思います。



まあ、毎話の泣かせドコロというか必ず誰かさんが泣いてた気がする。
1話で匂わせてたラストに真っ直ぐ持っていった素直な構成だと思います!



1話で停滞してた様を見せて
めんまにとらわれてて
それを吹っ切ってモラトリアム解消するんかなーって期待通りの展開でしたね。



そうですねー。ただ露骨にモラトリアムってのはじんたんだけで
他は結構「それはそれ」で表面上は上手くやっていたね。



ま、先ほど言ったような尺足らずの問題はあるもののその中で最大限できたんじゃないかと思います。




そうですね、遊びの話が無かったので
密度と言うか濃度は濃かったと想いました。
フラクタルは2クールでやるべきだった)



またフの話か!こりないな君は!ww




すぱんくは全面的にフラクタルを応援しています!
私がいなかったら1フラクタルは882枚だったんだからね!ww



貢献してるwwえらいww
えーっとあの花に話を戻しますと!



あ、そうだ。地理設定として
秘密基地のある山とじんたんの住む街を、橋が繋いでるじゃないですか。



はい。OPで印象的な橋ですね。




そしてその橋の下にある川は、上流でめんまがなくなった川なのですよ。
だから地理設定の時点で昔の自分達になる(秘密基地に集まる)には、川(めんまの死)を 乗り越えなくちゃならない、
という設定がされているのですよ。



常世界と異界の境界ですね。
まあ乗り越える、というかめんまの死で断絶された現在の日常と秘密基地の過去が再びつながる、という感じですかね。



日常/異界の境界が、「めんまの死」を受け入れることで日常/日常に変わるという感じがしましたね。
だからめんまが成仏した後でも、あそこに「集まれる」と。



うんうん、なるほど。
あと前回話した友情が復活するとあだ名で呼べるようになるってあれ。
最終話で露骨でしたね。みんなあなる言い過ぎwスタッフ言わせすぎw



ですたねーwww
でもあそこで「全員を笑わせる」脚本力は凄いですな・・・。



あそこの5人も泣き笑いなんだけど見てる視聴者も泣き笑いになってしまうw




そうそうwしかもあなるが「めんまの事なんて関係無い!」と言った後に、5人だけでも笑えるという描写を入れたのは
一歩間違えればその後全部がブチ壊しになるくらいのギリギリの線だと思うのですよ。
だから画面の中と視聴者は「弛緩」しているのに、話全体の構造としてはメチャクチャ「緊張」しているというのは…



話が緊張している、というと?




ストーリー全体の構成として「ここでミスったら台無しになる」場面で台無しになりかねない表現でまとめている、
という風に言うのが正確かな?



はい。確かに重要な締めの場面ではあります。




(ああいう大事なところで弛緩させる演出というものが)
あの全員を救済する終わりに対してシラケさせることなく、視聴者のテンションを維持させる
原動力になっているんだな、と感じました。



あえてああいうリラックスしたシーンを入れてリアリティというか感情移入度を増幅させている感じですねー。
また別の話しになりますが、めんまとじんたんはじんたんを泣かせば成仏すると思ってますが、違いますよね。



違いますね・・・っていうかそれなら1-2話で成仏してるようなw




一番最初に消え始めたのはいつでしたっけ?
えーと…花火の前日の夜にめんまが自分で気づいてますね。
まあ自分はブログに書いた通りめんまが成仏にするには「関係者全員の未練がなくなること」だと思ってるんですがどうでしょうか。



自分はもうちょっと単純で、あの「じんたん、めんまの事好きなんだろー!」の再現で
じんたんがちゃんと「めんまの事が好きだ」と言った時点で
めんまとしての願いは終わったのかな?と。だから、花火前に透け始めた・・・のかな?



ただ、そこでめんまとしては「自分の願い」だけじゃなくて「またみんな仲良く」なるためには、
もちょっと自分がここにいなきゃいけない、と。




成仏するのはじんたんに見えるめんまだけじゃなくて、
みんなの中にわだかまり続けるめんま全部だということに めんま自身が気が付いていたのでしょうなぁ・・・




うんうん。あとは生まれ変わりを信じていることとも関係しますね。
また仲良くなるために生まれ変わったあとを考えると今できることはしておこうと。




自分は生まれ変わりをあまりに無邪気に信じていることにちょっと違和感を感じたのですが、
まあ、あのめんまならありかな、とも思います。



そこは「じんたんのお母さんが生まれ変わっている」と信じることが、
そのままじんたんの幸せに繋がっているとめんまは思っているので
そこが揺らぐとじんたん母とめんまの約束も消し飛んでしまいますからねぇ・・・



朴訥に生まれ変わりを信じるしか、めんまには選択肢が無いんですな。




巡り巡ってじんたんの母ちゃんの死にまで救いの手をさしのべている、と。




あとちょっと横道にそれるとノイタミナ枠でとして見たときに
同じ期の『C』とテーマ的には実は結構繋がっていて



おお!俺がこれから見ようとしてるC!




「未来を犠牲にしても現在を維持する」ミクニvs「現在が少しぐらい傷ついても希望のある未来に期待する」キミマロ(主人公)
という構図になるのですが、「生まれ変わり=未来への希望」とするのなら、「このまま幽霊でもじんたんと一緒にいることを選択するめんま」と「いまお別れしても生まれ変わってまたみんなと会えるめんま」という葛藤の中「未来」を選択したわけで、これは『C』とやってることは同じなんですね。



なるほど。まあでも幽霊めんまと一緒エンドは正直ないでしょう。
どんなフラクタルだよwって!
そんな自分がほれた萌えキャラとクローズドな関係をつくって終わるような…。




おい表でろ





うわ!w





はははwwいや個人的には幽霊と一緒エンドはかなりアリなのよw
数年前まで刹那主義というか「いまここ」を良くすればいい!みたいなアニメって結構あった気がして
でも「やっぱそれじゃダメだったねー」というのが、今回の『あの花』『C』でちゃんと言われたのは良かったですよ。



例えば「けいおん」とか、まぁ色々言われてはいたけど見方によっては「現状維持」の終わりを選択したとも言えるわけで
「いまここ」が良ければいい、の積み重ねで「けいおん」のような幸せな結末が全員に訪れるとは限らないわけです。



まあそこらへんはいつの時代もバランスですね。今の幸せと未来の幸せと。





そういう意味では揺り戻しとして「いまここを犠牲にしても、この先を幸せにする」
という選択肢を提示する必要がここにあったのかな?と。



最近よく見る"クソみたいなゼロ年代アニメ"の超克ですかw




まどマギは完全に「いまここ」全肯定だからなーww
そういう意味ではカオスラウンジの黒瀬さんが言っていた「まどマギゼロ年代深夜アニメの撤退戦」というのは、
そういう意味もあるのかな?と勝手に理解していたりもします。



自分にはまどマギはいまここ全肯定というより人生全て犠牲にするのが当たり前って言われた感がありますが。




(…しばしのまどマギ談義…)

まどマギ」の話は始めると終わらなくなるので、「あの花」に戻りましょう!w




そうしましょっかw
えっと幽霊と一緒エンドの話でした!
これがどう見てもフラクタルの萌えキャラフリュネッサとひきこもりエンドと同じだと!



いやいやいやいや、あれは引きこもりエンドなんかじゃない!というのは私のブログを見てもらうことにしてw




いかん、そっちの話にしても論点ずれるw
まあすぱんくさんの意見としては幽霊と一緒エンドはアリっちゃアリだけど、
結果的には未来を選んでくれてよかったってそんな感じでよろしいですか。



えーと、個人的には幽霊と一緒エンドが良いんだけど(これはごく私的な思想からくる願望なだけなのだけどw)、お話としてあるいはさっきも言った様に、ふり幅として未来を選ぶ終わりじゃないとダメだったろうな・・・と思いました。
「幽霊と一緒エンド」だったら、嬉しいけども、「それじゃダメだろ」と私自身が思います。



その私的な思想とやらをお聞かせ願えますか。




ざっくり言うと「幸福は出来る限り自分一人で始まって終わるようになっているべき」と考えていて
それは最終的に「孤独であること」が一番幸せなのだと。
その上で『自分にしか見えない相手』と一緒にいる事は、孤独に限りなく近い二人でいられる。かなり望ましい情況なのです。



なるほどー。ここで一つ別の見方がありまして。
めんまが全部妄想ってパターンもありますよね。




妄想というかじんたんのPTSDが抑えきれなくなって噴出した幻覚みたいな。





そう考えるとこの話が故人の追悼ではなくて、精神病患者のリハビリというなんとも「勝手に改造」*1なオチになりますw





ゆきあつあたりはガチで病院に行くべきww





そのサイドの念頭においてさっきの幽霊と一緒エンドを考えるとガチバッドエンドになってしまう!





「締め切った薄暗い部屋で、虚空に向かって恍惚として表情で話しかけるじんたん」・・・悪くない!





まあこういうラストについては村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」にあるようにですね…
けっこう前から社会とか古臭い価値観の否定を目指した終わりとして使われていて、
僕個人としてはそういうのはもういいかな、と思っています。




他人に絶望してセカイ系にいったり、決断主義にいったりはもうやめようよ!
ある程度のところで見切りをつけて社会の中で他人を信じて仲良くやってこうや、って感じですね。
さっきの孤独な幸せという価値観とは真反対になってしまうわけですが。




むふー。もう世界全員引きこもって、永遠に孤独な世界がいーいーのー!
じたばたじたばた!



ま、そこらへんは個人の見解ですからね。どっちが正解ってわけでもないですし。
まあ、それを踏まえつつつるこの話にいきましょう!



(いや、明らかに私がおかしい)




つるこー!かわいいよつるこー!ってね!





えーと、ちょっと区切りが悪くなってしまいますが、前編はここまで。
後編はキャラと人間関係について掘り下げて語っていきたいと思います。
後編は以下からどうぞ!


対談ブログ"しゃべろぐ"第3回「あの花語り その2」(後編)
http://d.hatena.ne.jp/sumeshi30/20110731/1312077321

*1:サンデーで連載していた久米田康治のマンガ