正しい行動をするための考えを整理させてくれる良書。 マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(中編)

いやー、だいぶ間があいちゃったね。
なにかと忙しくてバタバタしてますわー。
今日はサンデルの正義の話のレビュー中編です。
読んでない方はこちらから。


正しい行動をするための考えを整理させてくれる良書。 マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』(前編)



4章では市場原理に焦点が当てられる。
市場原理はほとんどの人に正義として考えられている。
例えば国営施設の腐敗は民営化により改善されると考えられている。
安い原料を使い安い人件費を使った安い牛丼の価格は適正だとされる。
果たしてその市場原理は正義か?と問うのがこの章だ。


その例として徴兵制を例に挙げている。
アメリ南北戦争の際に北部で徴兵制が施行された。
その徴兵制では徴兵されても兵役に就きたくないものは金銭により代わりを雇っていいとされていた。
この仕組みの元では金持ちは戦争へ行かず、貧乏人だけが危険にさらされることになる。
これについては階級差別であり、正義にもとると多くの人が考えるだろう。


一方、志願兵制はリバタリアンからは自由な選択を許すという面で、功利主義からは効用を最大化できるという面で支持されている。
しかし、実際には低所得者層が多く志願しているという現状がある。
果たして志願兵制は本当に自由で公正なのだろうか?


5章ではカントの哲学が紹介される。
カントは自由を重視したが、その自由は非常に厳格なものだった。
カントは多くの人に喜びを与えるものが正しいとは限らない、と功利主義を批判した。
一時的な利害、必要性、快楽を正義の基準に置くのはおかしい、と。
例えば欲望や利益のための行動はそれらの奴隷として動いているだけで、自由ではないとした。
真の自由とは感性からではなく理性から導き出された基準、すなわち道徳を元に行動することらしい。


ここであえて私見を述べさせてもらうが、カントの哲学は非常に理想的だがそれゆえに危ういと感じた。
カントは人間は感性に左右されることも認めながらも、みな尊重すべき理性的存在だとしている。
しかし実際には多くの人間は利害や快楽等の感性によって動く。
これを無視して理性のみを用いるべき、とするのは現実には適用できない空論なのではないだろうか。
また、理性を用いて自分を律し正義を行うことを求めているが、結果を見るべきでないとしている。
誰かの正義が誰かを傷つける場合も認められるのだろうか?


6章ではロールズの格差原理が紹介される。これは現代日本格差社会を考える上で非常に参考になる。
格差原理とは、個人の天賦の才を公共の財産とみなしその利益を全体で分かち合うという考え方だ。
才能や環境に恵まれた者は自分より恵まれないものを助けるときにのみ、その才能により利益を得ることができる。
この考え方は実力主義と反しており、それがもっともはっきり現れるのが努力に関する問題だ。


ビル・ゲイツは寝る間を惜しんで働くことでマイクロソフト社を発展させた。この努力に見合う対価を得る権利があるのか?
しかしロールズの答えはノーだ。努力すら恵まれた育ちの産物だというのだ。
これについては多くの反論があるだろうが、一つの非科学的な調査がある。
長子は第二子以下の子どもより労働意欲が高く、稼ぎが多く、いわゆる成功者が多いとされる。
長子に生まれたことが偶然なら、努力ができるということも偶然である。
もしこれが本当なら、努力すらも道徳的功績に値しないのだ。
ロールズによると多くの努力をして成功したビル・ゲイツが多くの対価を得るのは、
宝くじに当たったようなものなのだ。彼自身の才能や努力が素晴らしいという理由ではない。


ロールズは生まれつきの才能の分配や環境の差を受け入れた上で、全体の利益になるためにどう利用するかを考える。
その考え方は実力主義の元で低能力の労働者が切り捨てられたり、
過度な平等主義の元で才能を発揮できなかったりする現代日本で大いに参考にすべき考え方だろう。


なんかまだまだ長くなってしまったので続きます!