ジョニィと大統領のスタンド能力に見る荒木飛呂彦からのメッセージ 荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」24巻(最終巻)

STEEL BALL RUN スティール・ボール・ラン 24 (ジャンプコミックス)

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ついにジョジョ第7部、スティール・ボール・ラン完結しましたねー!!
絵も物語もどんどん進化していくのでジョジョずっと読んでる俺でも付いていくのは大変でしたが、
最終巻を読んでやっぱりジョジョは、荒木飛呂彦はスバラシイと思いましたっ!
以下、ガッツリ語っていきます!
もちろんネタバレあり!



まず23巻で3部ディオが出てきたことにびっくりしましたね!
なんなのあれ?ファンサービスしすぎだろー。
大統領の苦肉の策でありながら、作者の苦肉の策のような気もしましたw
あと一応レースに沿って終わったけど正味レース関係ないよね。


まあ雑感は上記のようなもので本題に入りたいと思います。
「なぜヴァレンタイン大統領はジョニィに敗北したのか」
そりゃー大統領が悪役でジョニィが主人公なんだから当然だろ、と言われるかもしれないですが、
話の流れからそのことに疑問を持たせるように作ってあるように見えるんですよね。


まずスティール・ボール・ランのキャラ配置が6部までとは全く異なるのが面白いです。
6部までは「悪を企む奴ら」と「それを阻止する主人公グループ」の対立だったんですが、
SBRでは敵味方ともども「自分の都合」でレースに参加しておりそれがキャラ間で共有されることがないのです。
主人公格のコンビ、ジョニィとジャイロですら「足を治す」「祖国の少年を助ける」と全く別の事情で共闘しているわけです。
つまりそれぞれが別の「正義」であり、いわば悪役というものが実質存在しません。
大統領ももちろんそのラインで並列に描かれており「アメリカを世界一の国にする」という正義で動いています。


さてこの別々の正義が並列したときにどの正義が一番強いのか、という問題になります。
そこで注目したいのがスタンド能力
スタンド能力というのは荒木飛呂彦が開発した「精神のかたち」をビジュアルで表すという画期的な表現方法です。
荒木飛呂彦がスタンドの姿を、能力を緻密な絵で描くことによって精神というかたちのないものをリアルに描写することに成功したのです。


そして大統領のスタンド能力は「並行世界を移動する能力」です。
この能力が象徴することは人間の選択肢の可能性です。
ジョジョでは常に克服するべき運命と人間の闘いを描いてきましたが、
この能力はどちらかというと一つしかない運命を克服するための人間の希望を象徴したもののように思えます。
それぞれの並行世界はそのまま人間の選択肢の可能性を表しています。


しかし、それぞれの並行世界は平等ではありません。
本編で進められている「基本世界」に圧倒的な優位性があります。
つまり、人間がどんな選択をし、よりよい世界を選んでも基本世界の前ではフェイクに過ぎないのです。
これはエロゲのトゥルーエンドの概念に似ていますね。
それぞれのキャラを幸せにする個別エンドがあって、全てのキャラに視線を向けた包括的なトゥルーエンドがあるように。
そしてトゥルーエンド、基本世界を導くのは大きな運命、いわば神の意志のようなものが働いています。
それは聖人の遺体が基本世界にしかないことからも明らかです。


そして運命、神の意志がどのように働くかというとそこにジョニィが現れてくるんですね。
ジョニィの能力は「無限の回転」。
これは自然に存在する黄金比から得られた能力で、いわば神から与えられた能力です。
ジョニィは一個の正義として、人間として大統領に勝利したのではなくて、
運命を体現するもの、神の意志を現すものとして大統領に勝利したのです。
もう一度ジョニィの都合を確認してみますと、ジョニィは自分のために足を治したいだけでそれからどうのという話はありません。
大統領の正義と比べるといまひとつ弱いですね。
しかし彼は強い正義がないからこそ、空っぽの器としてジャイロの技を引き継ぎ、神の意志を体現できたのではないかと思います。

「我が心と行動に一点の曇りなし……!全てが『正義』だ」
byヴァレンタイン大統領


大統領の死ぬ間際のセリフを見るとわかるように大統領の正義は人間としては最強なんです。
しかしそんな大統領が負けてしまった。
そして幸福の権利である遺体は誰のものにもならずに終わった。
個人の正義など大したことではなく、誰が幸福になるべきかを決めるのはただ神の意志のみだ。
そういう荒木飛呂彦先生からのメッセージを感じます。